マンダレーのシンボル!マンダレー城砦と外堀
2019-01-30edit MyoMinThuヤンゴンの人々がシュエダゴン・パゴダのことを誇らしげに語るように、マンダレーの人々もマンダレーヒルやマンダレー王宮とその城砦を誇りとしている。マンダレーはビルマ最後の王であるティーボー王が治めた王朝の首都であった。今回紹介するのはマンダレー城砦と外堀である。
歴史
マンダレー城砦はマンダレーそしてミャンマー、ひいては東南アジアが誇る名所の一つだ。
この砦はミンドン王によって建設されたもので、ミンドン王は1850年代に兄であるバガン王の統治時代とは異なるマンダレーに首都を移した。ミンドン王は1857年に砦や美しい宮殿、その他多くの建造物を造った。砦は巨大な壁と外堀に囲まれている。印象的な城壁は一日中いつでもどこからでも見ることができ、城壁には衛兵が立ち、宮殿は水の張られた外堀に囲まれ、守りの堅さが伺える。宮殿内部は第二次世界大戦中に日本軍によって占拠され、その後連合軍との衝突により全焼した。チーク材でできた僧院は衝突以前に壁外に移転されたため、現存する唯一の元の城砦の一部である。マンダレーヒルのふもとに建つこのシュエナンドー僧院はマンダレーきっての観光名所だ。
1990年代にはマンダレー王宮の復元が行われた。謁見広場やその他すべての建物が再建され、当時の様子が復元されている。見張り台からは砦を360度見晴らすことができ、息を飲むような絶景を楽しみたいのであれば見逃せないポイントだ。
高さ8メートルの巨大な壁の下部は厚みが3メートルあり、レンガでできた上部は先細く銃眼があしらわれ、厚みが1.5メートルある。 壁は4辺それぞれ2 km続いており、それを囲う外堀は幅70メートルで深さが3メートルある。19世紀当時に守りの堅い城砦および外堀として名を馳せたのも頷ける。
現代のマンダレー城砦と外堀
現代においてマンダレー城砦は数々の変化を遂げたため、それに伴い短所も存在する。近代的な装飾に生まれ変わり、古代建築である城砦の様相は変化した。
夜遅い時間帯にはマンダレー城砦周辺での犯罪率が上がるため、観光客が一人で訪れるには治安面で不安が残る。現在マンダレー警察は問題解決に取り組んでいるところだ。
依然マンダレー城砦と外堀はマンダレー1番の名所であり、マンダレーを訪れるのであれば見逃せないポイントだ。ここはマンダレー市民の魂とも言える。
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