市政160周年記念のマンダレーで創建100年の忘れられた僧院を訪れてみませんか?

2019-07-17edit nyeinsuwai

歴史的な街並みや伝統文化、アンティークの品々など、かけがえのない歴史的遺産はそれぞれ愛好者が責任を持って守るべきだという人もいますが、本来はすべての人の手で大切に守り継ぐべきものでしょう。どれくらい熱意をもって伝統文化を守っているか。これを見れば、その土地の人々が先祖代々受け継がれてきたものを本当に大切に思っているか、また、その土地の歴史や文化に愛着を持っているかが簡単にわかります。
今日は、「面白みのない、観光客慣れした場所にはもう飽き飽きした」という方にこそオススメのマンダレーのスポットをいくつかご紹介します。
いずれもマンダレー中心部からのアクセスもよく、ついつい写真を撮りたくなるようなすばらしい建築の芸術が楽しめる場所ばかりです。

シュエインビン僧院 (創建123年)

黄金の王宮の僧院といえば真っ先に思い浮かぶのはシュエナンドー僧院でしょう。しかし、マンダレーにはそれ以外にもシュエインビンという「忘れられた僧院」があります。チークを167本使用して建てられたシュエナンドー僧院に次ぐ素晴らしい建築物であるシュエインビン僧院は、セット・ユアン氏夫妻が寄進した仏教僧院です。ユアン氏は出身地の中国でイスラム教徒の暴動が起きた時にミャンマーに移住。妻のバワー氏はコンバウン王朝(ビルマ最後の王朝)のヤ.マル.シン(Yamalthin) 公爵夫妻の姪としてビルマに生まれ育ちました。ユアン氏夫妻は、ビルマ最後の王となったティーボー王がイギリス併合により退位した10年後の1896年にマンダレーのデウォン地区に庭園を購入し、敷地内にシュエインビン僧院を含むいくつかの仏教建築を建立して位の高い僧侶に寄贈しました。

創建約123年のこの僧院では古代ミャンマーから伝わる本格的で大変珍しい植物模様の美しい木彫りを見ることができます。チーク材の扉には神話の鬼や守護霊などの雅やかな木彫りが施されており、敷地内の手すりには仏教の10の教えが刻まれています。
当時は国王が寄進した財物より格式の高いものを俗人が寄付することは許されない時代でした。シュエインビン僧院の作りや装飾が、当時の国王が寄進したシュエナンドー僧院に次ぎ二番めに立派だとされてきたのもそのためです。



大変残念なことに、過去に僧院内に保存されていた価値ある彫像や貝葉(訳注:貝葉とは、椰子などの植物の葉を加工して、紙の代わりに用いたもの)は思慮に欠ける不届き者によって盗まれたため目にすることができなくなりました。デウォン公園にはユアン氏夫妻の没後、夫妻の墓石とともに夫妻が寄贈したシュエインビン僧院の歴史が刻まれた石碑が建てられました。

このような墓石や歴史ある石碑が一般家屋などの景色に埋もれ、目立たない存在になっているのは嘆かわしいことです。かけがえのない「隠れた遺産」について、地元の人さえも忘れがちです。それでも、この歴史的遺産地区を海外から訪れる人もいます。シュエインビン僧院が人々の記憶から完全に消えてなくなる前にあなたもぜひ訪れてみてください。


キンウンミンジー僧院(創建140年)

西洋建築の影響がもっとも色濃いミャンマーの僧院はどれか?と聞かれれば真っ先に頭に浮かぶのがキンウンミンジー僧院です。マンダレーのマハ.アウン.ミャェ.タウンシップのEast Daywunにあるこの大規模な木造の僧院は1879年にキンウン・ミンジー・カウン氏が建立しました。

カウン氏はミンドン王、ティーボー王の時代に主要大臣を務め、ミンドン王のヨーロッパへの外交使節として英国、フランス、イタリアの各都市を歴訪しました。その際に僧院建築のアイデアを得て設計したキンウンミンジー僧院は今日まで名高い仏教建築として人々に知られています。ここはミャンマーの僧院に典型的な階層状の屋根を持たない唯一の18-19世紀の西洋建築の仏教僧院です。

現在建物は閉鎖されており普段は使用されていませんが、隣接する建物にいる大僧正から入口の鍵を借りて中に入ることもできますので、建物の内装や構造などの芸術を直接ご覧いただくことも可能です。


ケイマーウンティ僧院(創建100年)

この僧院は、ピージーキャットターヤイ タウンシップ出身の著名な寄進者の娘Ma Ma Zin氏が1919年に位の高い僧侶に寄贈しました。広大な敷地内に200人もの僧侶がここに暮らしていたとされています。

2019年に創建100年を迎える ケイマーウンティ僧院は、創建時には黄金やガラスを用いた美しい装飾が建物全体に施され、贅を尽くした立派な建築物だったそうです。

建物は第二次世界大戦中に複数の空襲により破壊され、今残されているのはその外観のみです。ここに僧侶が暮らしていた期間は25年ほどですが、当時の栄光を今に伝えるものは建物のレンガの骨組みだけになりました。ただし、幸い創建時からの美しいハシゴが2台、今も残されています。

ケイマーウンティ僧院は周辺地域で排出されるゴミに紛れて消失したとも言われていました。筆者も、幼少時代には「ゴミ箱」と呼んでいたほどです。しかし、当時から薄汚い周辺環境の中にあってもこの僧院の姿かたちは美しさを保っていました。その後時の経過とともに状況は悪化し、今では新しい建物の間にその姿がわずかに見える程度になりました。この僧院の美しさを肌で感じることはほとんどできなくなりました。今の姿は、その輝かしい歴史とその後の悲しいてん末について見る者に語りかけてくれます。

ケイマーウンティ僧院の真の価値は、その廃墟を心の目でしっかり見ることができる人にはわかるはずです。いつの日か、ギリシャのパルテノン神殿やイタリアのアクロポリスのC神殿と同じように観光の要である観光客がこの地を訪れることも期待できるでしょう。

読者の皆様のマンダレー旅行が最高に楽しいものになるよう願っています。

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