パテインの傘(パテインパラソル)

2019-08-09edit Ye Naung

世界の各国にはそれぞれ誇りとする愛すべき伝統的な美術品や工芸品がある。そういった伝統を守っていくための知識や敬意は非常に大切だ。日常的に大量生産が行われる昨今、時代を生き残るために職人達には革新が求められる。例として挙げられるのは、その繊細さで有名なミャンマー漆器だ。ミャンマーの手工芸品の一つだが、次世代に受け継ぐことが難しいのが現状だ。

ミャンマー漆器のように、経営面で先行きが不安な伝統美術や工芸品はその他にも多く存在する。ミャンマー伝統のサイン.ワイン、ア.ニェイン、ザップエ等の舞踏劇だけでなく、パテインの傘の製作技術も伝統的な文化遺産として保護、伝承されるべきだ。
伝統文化や伝統工芸が語られる時、人々は自分達のものが最古の起源を持つと考えがちだ。文化が古くなればなるほど、自国でより早く文明が生じたことになるので、自然と人々は物事の起源は自国にあると考える傾向がある。しかしながら歴史は国民精神に基づいてではなく確固たる根拠に基づいて残されるべきである。そのため伝統工芸の明確な史実を受け入れる姿勢が大切である。
パテインパラソルとは文字通りパテインで作られている傘のことである。パテインパラソルのような素晴らしい工芸品を生み出した町の人々はパテインを誇りに思うべきだ。この驚くべき職人技をパテインにもたらした人物がU Shwe Sarだ。 130年以上前、 U Shwe Sar はティー.ボー王に仕えた王室芸術家であり、ティー.ボー王はビルマのコン.バウン王朝の最後の王であった。

当時の傘は布で作られており、王家やその関係者達は特別なデザインを施された傘を使用した。一般の人々がそのデザインを使うことはなかった。それに加え、特別な来賓客をもてなす際やイベントが行われる際に使われるデザインでもあった。そういった傘でさえも、当時はダブルスタンダードが存在したことには今は触れないでいただきたい。このころの世界は独裁政治全盛期であったのだ。
隣国のタイでは、 1687年〜1688年にフランスから特命全権大使としてシャムに派遣されたシモン・ド・ラ・ルベールは、1693年に英訳された歴史書「シャム王国史」を執筆した。それによると、傘の使用は王によって一部の臣民にのみ使用することが許されていたという。

Shwe Sar の傘工房

世界最初の傘専門店は「ジェームス.スミス.アンド.サンズ」。1830年に開業し、今もイギリスのロンドンのニュー.オックスフォード.ストリートの53番にある。パテインにも、今もまだ最初のShwe Sarの傘工房があり、まさにミャンマーの「ジェームス.スミス.アンド.サンズ」的な存在と言える。



パテインパラソルの起源

今日まで受け継がれている美しい工芸品、パテインパラソルの起源は、マンダレーで植民地時代が始まった時、 U Shwe Sar がマンダレーのヤタナポーン王宮から逃れてきたことに端を発する。ミャンマーの古い格言に「不幸は付添人と共に来たる」というものがあり、ティー.ボー王が西洋の帝国主義の波に飲み込まれた際、 U Shwe Sar などの王室付きの芸術家達は逃げることを余儀なくされた。
U Shwe Sar は、王宮から700キロも離れたパテインに逃れた。それがパテインと傘を結びつけるきっかけとなった。元王室芸術家の U Shwe Sar にとってパテインで軽食屋を始めるといった選択肢はなかった。当然ながら持ち前の職人技を生かし、パテインの一般市民として第二の人生のスタートを切った。今日名を馳せるパテインパラソルの始まりであった。

パテインパラソルの製法

56もの工程を経て完成するパテインの傘は、作るのにおよそ1週間を要する。傘の原材料として使用される布と竹の骨組みは特に重要なポイントだ。雨季に入手できる竹を使用するのが最善とされている。日本や中国での竹の扱い方はわからないが、ミャンマーの伝統的な方法では、傘職人は約2か月間、竹を水に浸しておく。接着剤としては、キャッサバ、柿の実、米粉等を使用する。仕上げとして、傘を日光で乾かした後にごま油を塗る。傘のデザインは多種多様で、市場の需要に合わせて作成される。
テクノロジーが発達した変化の早い現代において、伝統工芸品の生き残りは一層厳しい状況だ。その日暮らしの労働者世帯を支えているのは傘を作っているような中小企業であり、その意味でも私たちはパテインの傘をミャンマーの伝統的な遺産として守ってゆく必要がある。

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