マグウェの歴史は、ミャンマー中部の他地域の歴史と深い関連性があります。エーヤワディー川沿いのマグウェが位置する地点は何世紀にもわたって上流域のザガインやマンダレー、下流のバゴ、エーヤワディー、ヤンゴンなどの他地域とかの繋がりがありました。1000年ほど前まで、この地域にはピュー族が居住していました。ピュー族は、当時ミャンマー中部の平地を支配していたチベット・ビルマ人です。パガン朝ビルマ王国が9世紀後半に成立した際、この地域はミャンマー文化と文明の中核を担う地域の一つとなりはじめました。現在マグウェ地域と呼ばれるこの地域は後に1752年から1885年までミャンマーを統治した最後の王朝であるコンバウン王朝の一部を形成しました。マグウェは、ミャンマーのマグウェ地域の首都であり、エーヤワディー川のほとりに位置しています。マグウェ市の北側に位置し、全国から多くの巡礼者が集まる美しいMyathalun Pagodaはマグウェのランドマークです。マグウェ地方はゴマや種類豊富なナッツ類の栽培で有名です。また2000年前に建てられた古代都市Beikthanoがあります。かつてはピュー族が住んでいたものの、現在は廃墟となっています。マグウェ地域には、国内外から多くの旅行者が訪れる観光名所があり、マグウェ、サレー、パコック、ターヤットなどの街に点在しています。
この地域の観光名所
国内外から訪れる旅行者に人気のマグウェイ地域のスポットは、Myathalung Pagoda、 Shwe Ku Pagoda、Tantkyitaung Pagoda、シンビンマハラバマン寺院、ヨケソネ僧院、ササナヤウンジー僧院、古代都市Beikthano、Salay building、ミンフラ要塞。等があります。 そのほかにもMin Buu Shwe Sat Taw、Phaung Taw Oo Pagoda、Sandaku Monastery、Shwe Sat Taw 祭りなども人気です。
Myathalun Pagoda
マグウェのMyathalun Pagodaはヤンゴンから約532 km(331マイル)のエーヤワディ川のほとりにあります。 伝説によると、仏塔はもともとマグウェ出身の裕福な男性Thubawgaによって建てられました。仏塔の元の高さは15.6メートル(52フィート)で、パガン王朝のソールー王(1077-1084)によって24.6メートルまで増築されました。塔は1847年の地震で損壊し、その後現在と同じ31.2mの高さに再建されました。 この地域で最大の仏塔であるMyathalun Pagodaは、キラキラ輝く黄金色がその魅力です。川岸にそびえる塔の風光明媚な美しさは、旅行者の印象に残ります。 Myathalun Pagoda祭りは、10月15日から11月2日の日程で行われます。祭りでは、朝早くから2000人近くの僧侶が経を唱え、9千本のろうそくを灯すなど、魅力的なイベントがたくさん行われています。
Beikthano
Beikthanoは、マグウェイの現在Taungdwingyと呼ばれているエリアにあります。ピュー都市国家時代、Beikthanoはとても重要な都市で、Sri Ksetraに代わる重要な地方都市でした。現在は小さな村ですが、温泉と古代の遺跡で有名です。ピュー王国の古代都市であるBeikthano、Hanlin、Sri Ksetraは、エーヤワディ川流域の乾燥したかんがい地帯に造られました。これらの古代都市は1,000年以上前の紀元前200年から西暦900年までさかのぼる考古学的遺産として、2014年5月にユネスコ世界遺産に登録されました。 北東部の水資源豊富なKyaukse平野へのアクセスも良いBeikthanoは、これまで発見され発掘された中でも最古の都市です。発掘された遺跡、陶器、工芸品、人骨などは紀元前200年から西暦100年までさかのぼります。ヒンズー教のヴィシュヌ神にちなんで名付けられたこの都市は、ミャンマー史上初めての、文化的にも政治的にも均一な国家の首都であったかもしれません。3 km x 1 kmの広さで囲った壁の内側に築かれた約300ヘクタールの広大な要塞集落でした。周囲の要塞の厚さは6メートルあり、その素材の放射性炭素の年代は紀元前180年から610年の物であると推測されます。その後造られたほとんどの都市と同様に、城壁の正面玄関は宮殿に通じており、東に面しています。仏塔や僧院の建物も城壁内で発掘されています。Beikthano、Hanlin、Sri Ksetraは1996年10月にユネスコの世界遺産リストに登録しようと提案されました。この提案は2014年5月にカタールのドーハで開催された第38回世界遺産委員会でユネスコによって承認されました。ユネスコの報告書によると、ピュー王国は紀元前200年から西暦900年の間に1,000年以上にわたって繁栄しました。 3つの遺跡はすべて、ユネスコの基準(ii)(iii)(IV)である、6,790ヘクタール(16,800エーカー)の緩衝地帯および5,809ヘクタール(14,350エーカー)の面積をカバーしています。 3つの遺跡に対しユネスコは「遺跡から読み取れる考古学的な時系列の信ぴょう性は高く、無傷の遺跡から採取された放射性炭素も紀元前180年前のものとみられ、都市が1000年ピュー王国に占拠されていたという科学的根拠もあり、遺跡で発掘された遺物の一つであるピュー碑文の内容からもこの土地がピュー王国の都市として繁栄したことが裏付けられている」と評価しています。
Shwe Ku Pagoda
Shwe Ku Pagoda は、ミャンマー史でも伝説的な存在のアラウンシードゥ王によって建設されたとされています。マグウェ地域の大都市の1つであるパコックにあります。 100年以上前に彫られた木彫りの芸術作品で有名です。
Tantkyitaung Pagoda
ミャンマーのマグウェ地域のパコックのエーヤワディ川岸にあるTantkyitaung Pagoda は、歴史的な都市バガンに近く、ミャンマー仏教の有名な仏塔であり、ゴータマブッダの4つの歯の聖遺物が祀られています。 ミャンマー歴397 年にアノーヤター王によってタンキー丘陵に建てられました。歯の聖遺物を抱えた白象がその場所で休みました。のちにそこに建てられたのがShin Myethna Thettawshay Pagodaで、豪雨が降った後象が座った場所に建てられたのがShin Mogaung Pagodaで、象が力を貯えた場所がSin Min Thwin Pagodaのある場所です。 Tantkyitaung Pagodaは高さが90フィート(27 m)で、基部が60フィート(18 m)あります。 9段の屋根には、銀色の羽根とダイヤモンドのつぼみが装飾されています。塔は何年にも渡って改装されました。仏像、アナンダ像、森の守護者像があります。仏塔の高台から見下ろすと、下の壁から突き出ている龍頭が見えます。竜尾はShwezigon Pagoda周辺にあると言われています。
マンパヤー仏像(Mann Paya Buddha image)
マンパヤー仏像は聖遺物の1つであり、知る人ぞ知る高地乾燥地帯の名所です。伝説によると地元の人々は、1888年の大洪水の後、高さ20フィートほどの中空木像を発見しました。水中から岸に引き揚げ、金の漆を塗りました。作者は不明ですが、その様式から西暦1300年頃に造られたと推測されます。マンパヤーは、ミャンマーでも珍しい漆塗りの仏像の1つであり、中でも最大のものであると考えられています。訪問者はかつて背中の入り口から彫像に入ることができましたが、近年は仏像の保護を目的として入場は禁止されています。仏像の奥深くを覗き込んでその奥の暗闇の広がりを体感することできます。
ヨケソネ僧院(Yokesone Monastery)
ヨケソネ僧院はミャンマーのマグウェ地方のサーレにある歴史的な仏教僧院です。 1882年に建てられた木造の僧院は、ジャータカの物語のシーンを描いた木彫り作品が多くあることで知られています。この 僧院はそれぞれ直径3フィートを超える153本のチーク材の柱が使われており、ティーボー王の時代には、地上約10フィートの高さを誇りました。 1996年に博物館に変わるまで、僧侶が暮らしていました。彫刻の他に、19世紀のヤダナボンの仏像や道具も見ることができます。さらに起源が不明な彫刻が多数あり、かつては高僧が使用していた大きな玉座があり、聖職者が馬車で使用していた古い木箱もあります。僧院の後ろには、有名なミャンマーの劇作家や詩人の作品、ミンドン王宮のの吟遊詩人U Ponnyaの作品が展示されている小さな建物があります。
Sasanayaunggyi Kyaung
Paya Thonzuから北へ0.3マイルの場所にある僧院と瞑想センターで、日帰り旅行でぜひ訪れたい場所です。塗装されたジャータカがついた19世紀製の素晴らしいガラス戸棚や、内部にパーリがある400年前の経典が特徴です。僧たちが喜んで案内してくれます。現地の学校への寄付も受け付けています。
サライハウス(Salay House)
1906年大英帝国は、バモー北部からラングーン南部の港までのエーヤワディ川を完全に支配していました。貴重なルビー生産からチーク材の生産に至るまでの商業が川沿いで発展しました。世紀の変わり目を目前に、バガンのすぐ南の地域で石油が取れることがわかりました。石油は一躍サライの農民と土地所有者に多大な富をもたらすこととなり、町ではビルマ・ビクトリア建築の建築ブームが巻き起こりました。 1906年8月19日に完成したサライハウスは、この繁栄の時代に誕生したのです。今日サライハウスでは訪問者は英国植民地貿易会社であるAyeyarwaddy Royal Trading Company(ARTco)の世界を体験できます。この復元された川沿いの倉庫は、当時の雰囲気を再現するためにアンティーク品でいっぱいです。ここではパネルや展示から英領ビルマがどのように運営されていたかを学ぶこともできますし、サライハウスの屋外デッキで軽食や飲み物を飲みながらリラックスするのも良いでしょう。
ミンフラ要塞(Min Hla Fortress)
築150年前のミンフラ要塞は、Kanaung Mintha Gyi(Kanaungの王子)の時代である1860〜1861年に建設されました。考古学局によるとミンフラ要塞の石碑には、「この要塞は、留学から戻ったミャンマーの若い男性がフランス人とイタリア人のエンジニアであるKomoto Perry と Moli Naryiの助けを借りて建設された」あります。正方形で、建設に使用された赤レンガは長さ15インチ、厚さ6インチでした。 ミンフラ要塞の奥には、入り口や緑の芝生の生えた空き地もあります。壁の4つの側面に沿って、役員室、軍隊室、保管庫を含む21の部屋があります。 内部には2つのレンガの階段があり、要塞の2階へと続いています。これらの階段は要塞の北側と南側にあります。 ミンフラ要塞の2640フィート北には通信事務所があります。ミャンマーの君主制時代に使用された事務所は今日も要塞の北翼に位置し、ミャンマー史上最古の1つとして記録されています。通信事務所の赤い亜鉛の屋根には木製の破風板がある他には何もありません。 現在ミンフラ要塞と通信事務所は考古学局の管理下にあります。
交通手段
予算面で問題がなければ車、飛行機、ボートなどでマグウェにアクセスできます。ヤンゴンから水路で約378マイル、道路で330マイルです。
マグウェに行くのに最適な時期
ミャンマーを訪れるのに最適な時期は11月から2月です。涼しい季節に行けば比較的カラッとした天気に恵まれますが、観光シーズンのピークです。マグウェはミャンマーの中でも乾燥地帯に位置しているため、晴れていることが多いです。